向かう
前回の記事では、文献やインターネット上での資料調査を行った。
しかし、現時点で確認できた情報は限られていた。
「多々良神」という名前を示す明確な資料は見つからない。
それでも、最初に見た動画の中で語られていた内容や、断片的に残る地域資料が気になり、実際に旧Y村周辺へ足を運んでみることにした。
旧Y村へ
旧Y村は、現在ではM町へ編入されている地域である。
かつては山間部の集落として林業や農業が営まれていたが、人口減少により住民は徐々に減少。
現在では住宅の多くが空き家となり、生活の痕跡だけが残っている状態だった。
訪問前に地図で確認したところ、かつて集落の中心であった場所にはいくつかの建物跡や旧道が残っていることが分かった。
現地で確認したもの
最初に向かったのは、旧集落の入り口付近。
現在は舗装された道路が通っているが、少し外れると古い石垣や使われなくなった道が残っていた。
住宅跡と思われる場所もいくつか確認できたが、建物はほとんど残っていない。
特に気になったのは、地図上では存在しているはずの場所について、現地では確認できないものが複数あったことだった。
もちろん、山間部では珍しいことではない。
災害や老朽化、土地利用の変化によって消えていくものは多い。
ただ、資料を見た後だったこともあり、少し違和感を覚えた。
聞き取り調査
現地では、旧Y村周辺に住む数名の方へ話を伺った。
「タタラガミ」という名前について尋ねたところ、最初は知らないという反応が多かった。
しかし、火に関する昔話や山にまつわる言い伝えについて聞いていく中で、一部の方から似た内容の話を聞くことができた。
内容は共通して、
・夜に山へ近づいてはいけない
・火を粗末に扱ってはいけない
・燃えたものを持ち帰ってはいけない
というものだった。
ただし、「多々良神」という名前を知っている人は限られていた。
また、話の内容や時期についても、人によって少しずつ違いがあった。
気になったこと
今回の調査で分かったことは、「多々良神が存在した」という証拠ではない。
むしろ、確認できたのは断片的な情報だけだった。
文献には残っていない。
地域資料にも明確な記録はない。
しかし、完全に何もないわけでもない。
いくつかの証言の中に、似たような「火」に関する話が残っている。
それが偶然なのか。
昔から伝わる何かが形を変えて残っているのか。
現時点では判断できない。
追加で確認した資料
帰宅後、現地で撮影した写真や入手した資料を整理している中で、ひとつ気になる点があった。
旧Y村の人口推移資料。
昭和初期から後期にかけて、人口は徐々に減少している。
しかし、一部の年代だけ不自然に減少している箇所があった。
単なる転出なのか。
行政区分の変更なのか。
それとも、別の理由があったのか。
今後、当時の記録を追加で確認していきたい。
次回は、旧Y村の人口推移と残された資料について調べる。
