制作後記 「多々良神伝承記録調査」について
※この記事は展示作品「多々良神伝承記録調査」の作品及びストーリー解説となっています。
作品をご覧になる前の方は、展示・調査記録を一通りご覧いただいた後にお読みいただくことをおすすめします。
はじめに
ここまで作品・制作ブログをご覧いただき、ありがとうございました。
今回、KUNIBIKI’26のテーマである「のこす」から「記録として残されたものは、本当にそのままの形で後世に伝わるのだろうか」ということを考えながら作品を制作しました。
幽霊や妖怪といった存在は、人々に注意を促すための地域社会の知恵であるという考え方があります。
例えば天狗は、山中で暮らす修験者や見慣れない姿をした異国人を見た人々が、その姿を怪異として語ったものではないか。
「神隠しに遭う」という伝承も、実際には遭難や滑落など、山で人が突然姿を消す出来事を注意喚起の一環として怪異として語られたのではないか・
など。
本作品のブログでは、私が偶然「タタラガミ」という奇妙な存在を知り、旧多々良村について調べ、作品を制作するまでを記録してきました。
ここまで読んでいただけた方は分かるかと思いますが、当然旧・多々良村も多々良神も実在しません。
今回展示した新聞記事、古文書、地図、写真、人口資料、動画、 SNSアカウントなどもこの作品のために制作したものです。
一連の展示は、架空の出来事を実在する記録のように提示するモキュメンタリー(フェイクドキュメンタリー)形式の作品として制作しました。
ここからは、作中では明確に語らなかった部分も含めて、この作品について少し解説していきます。
「多々良神」はどこから生まれたのか
作中の柳が最初に「タタラガミ」を知ったのは、動画投稿者が残した一本の短い映像でした。
※こちらの動画音声はYouTuberの知人男性に依頼し、収録いただきました。ありがとうございます。
その動画が気になり、動画投稿者のSNS経由でコンタクトを取り調べる…という流れですが、実は、あの姿には伝承上の根拠がありません。
作中の私は「タタラ」という名前から、地元で馴染みのある製鉄技法を連想します。
製鉄といえば炉、そして炎。動画にも炎が映っていたこと
そして幼少期の「火祭り」の思い出をなぜか重ねてしまった。
そして
「タタラガミとは、火にまつわる神様なのではないか」
と推測しました。
断片的な情報を拾い集めた柳が、そこに自分自身の知識や作家性を加えて作り上げた、新しい「多々良神」の姿です。
では、本当の「多々良神」とは?
2点目の展示作品「多々良神伝承記録調査」
これは架空の歴史学者「松下 悟」のデスクを表現した作品です。
展示されている資料を並べて見ていくと、もうひとつの物語が見えてきます。
旧多々良村では、天明年間の飢饉をきっかけに人口が大きく減少しています。
そして古文書には、
・新月の夜に行われる神事
・人目を避けて山へ向かうこと
・そこで人を「火へ還す」こと
などを示唆する記述が残されています。
これらを組み合わせると、多々良村で行われていたものは、一般的な意味での祭礼ではなかった可能性があります。
食料の不足した村を維持するために誰かを選び、口減らしとして殺害する。
そして、その遺体を火によって処理する。
それがこの伝承の始まりだったのではないか。
これが、作中に用意したひとつの「解答」です。
しかし、人を選び・殺すという行為を、そのまま何世代にもわたって続けることは容易ではありません。
そこで村人たちは、行為そのものの意味を少しずつ変えていきました。
人を殺しているのではない。
火へ還している。
そしていつしか、
多々良神へ魂を還している。
そう語られるようになった。
多々良神とは、もともと存在していた神ではなく、村人たちが自分たちの行為を説明するため、あるいは正当化するために作り出した存在だったのかもしれません。
だとすれば、「火」は火の神だから存在するのではありません。
柳は製鉄技法というまったく別の理由から火へ辿り着きましたが、偶然にも伝承の中心にあったものと重なってしまったことになります。
松下悟は、どこまで知っていたのか
もう一人、この作品で重要な人物が地域史研究者の松下悟です。
柳がインターネット上で見つけた記事では、松下は旧多々良村から発見された古文書を調査した研究者として登場します。
しかし、展示されている「松下のデスク」を見ると、彼が公開した研究よりもはるかに多くのことを調べていたことが分かります。
・人口記録
・古文書
・村の地図
・現地写真
・そして柳がコンタクトを取った動画投稿者の失踪記事。
松下は、おそらく柳よりもずっと前に多々良村の伝承の正体へ辿り着いていました。
それでも彼は、そのすべてを公表していません。
研究者でありながら、歴史を「残す」のではなく、残さないことを選んだ人物として設定しています。
なぜ松下がその判断をしたのか。
それは作品内では明言していません。
ただ、彼の周囲に残された資料から、その理由を想像できるようにしています。
火宮家について
そして、旧多々良村の秘密と深く関係しているのが火宮家です。
火宮家は、かつて村の運営に関わり、伝承の真相を知りながら、それを外部へ残さないよう守ってきた家系として設定しています。
展示作品の中に「火宮」姓を持つ人物が3人登場しています。ぜひ探してみてください。
彼らは単純に「悪事を隠している人物」として作ったわけではありません。
何百年も前の祖先が行ったことを、現在の人間がどこまで背負うべきなのか。
記録を公開することが正しいのか。
それとも、誰もいなくなった村とともに消えていくことを選ぶべきなのか。
その答えについては、作品の中では決めていません。
松下が最終的に「残さない」側へ立ったのも、火宮家との交流を通じて、この問題を単なる歴史的事実として扱えなくなったからなのかもしれません。
動画投稿者はなぜ失踪したのか
物語の入口となった動画投稿者についても、明確な答えは用意していません。
旧多々良村を訪れた彼は、それまで公開していた動画を削除し、奇妙な一本だけを残して失踪しました。
彼が村で何を見たのか。
なぜ動画を消したのか。
ここは少し不気味さのエッセンスとして意図的に分からないままにしています。
万が一多々良神が本当に存在する怪異なのだとすれば、彼は触れてはいけないものに触れてしまったのかもしれません。
一方、多々良神が人間によって作られた伝承にすぎないのなら――
彼を恐れさせたものは、いったい何だったのでしょうか。
「のこす」ということ
今回の作品には、さまざまな「残す」と「残さない」が登場します。
■旧・多々良村の村民たち
自分たちが行ったことをそのまま記録せず、「多々良神」という伝承へ形を変えて残した
■火宮家
その裏側にある事実を残さないよう努めた
■松下悟
真相へ近づきながら、その研究のすべてを残さないことを選んだ
■動画投稿者
それまでの記録を消し、最後に一本の映像だけを残した
■柳
残された断片を集め、その空白を自分なりの想像で補い「多々良神」という作品を残した
本来の多々良村には、女性の姿をした多々良神は存在しません。
それでも、この展示を見た人の記憶には、炎をまとった女性の姿が「多々良神」として残るのかもしれません。
存在しなかったはずの神の姿が、誰かの解釈を経て作られ、作品として残され、それを見た別の誰かへ伝わっていく。
もしかすると、伝承とはそうやって作られていくものなのかもしれません。
最後に、もうひとつ
ここまで読んでくださった方に、最後にひとつだけ。ここまで私は「解答編」として、この作品について説明してきました。
しかし、皆さんが展示で見た新聞も、古文書も、写真も、動画も、ブログも。
そして、いま読んでいるこの文章も。
すべて、誰かが「残した記録」です。
「のこす」とは何なのか。
最後の答えだけは、作品をご覧いただいた方それぞれに残しておきたいと思います。
柳リコ
